宗教法人アカウンタント通信No.180〇無宗教葬の意義〇無宗教葬の意義 先日、ある方からこんなお話を聞きました。その方は若くして突然息子さんを亡くされ、深い悲しみの中で通夜、ご葬儀を行ったそうです。その際に宗教者を呼ばずに式を執り行われたのですが、 息子さんのお友達が300人以上参列してくださり、そしてそのほとんどすべての方たちが、ご遺族であるご両親に対して「自分は故人の〇〇君とどのような関係であった、○○君は素晴らしい人柄で周囲からも信頼されていた」という主旨のことをそれぞれの言葉で説明してくださった、とのことです。 ご遺族はそのおかげで、亡くなった息子さんがいかに社会で評価されていたかを感じることができ、救われる思いであったとおっしゃっていました。 通常、通夜、葬儀においては、宗教者が宗教的な儀式を行う時間が圧倒的に長く、その間、ご遺族や参列者は基本的に口を開く事はありません。儀式が終わってからのお清めの席では、ご遺族とお話をされたいと思っている参列者がいても、ご遺族も忙しくしており、なかなか対応が難しいのが正直なところです。 その点、今回のその方のご葬儀は、宗教的な儀式の時間が省略された分、一人ひとりの参列者との交流が十分に取れたと言う結果になりました。 これを聞いて筆者は胸を突かれる思いでした。筆者は宗教者としての立場上、亡くなった方を弔う儀式については宗教者の関与が望ましいという立場をとっています。読経をしたり引導作法を行ったりする時間は決して無意味なものでなく、その宗教者を通して故人様をその宗派の開祖の仏弟子として迎える時間であると考え、そのようにお話はしてきたのですが、故人様とかかわりのある方が思い出を語り合う時間はそれはそれでたいへん貴重なものであると悟りました。 今回のように宗教色を絡めないご供養においては、しっかりと思い出を共有し、故人を供養し、あちらの世界にお送りすることができ、ご遺族の気持ちも安らぐ、そのようなケースもあるのだと実感いたしました。 菩提寺のある方であればご不幸の際にはかならず菩提寺にご連絡いただき、そこの住職に供養いただくことが前提となりますが、そうでない方であれば、このような送り方も一つの選択肢として考えられるのではないかと考えました。 筆者もこれまでの考え方を少し改め、枠組みを広げて、ご供養の仕方について改めて思いを巡らせてみます。 みなさまよいお年をお迎えください。(宗教法人アカウンタント養成講座 講師 高橋 泰源)
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